一言で言えば「何もできてません!(絶叫)」という日記
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あけましておめでとうございました(今更)
無闇になんでもコロナウィルスのせいにするのは現実逃避な気がして良くないと思う自分もいるのだけど
でもやっぱり、
異様に、
漠然と、
どうしたらいいのか分からなくて、
やる気が出なくて、
たぶんきっと、
コロナのせいだと思う。
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さて、前回の記事は年明け後に更新したものでしたが年始の挨拶をしていなかったので、改めまして明けましておめでとうございます。今年もわたくし「それがしあのね」と、このブログ「かな?知らんけど。」をよろしくお願いします。
2020年は「何もできなかった」という感想です。
特に後半はひどくて、だいたい寝てました。やる気が出なくて寝てました。前半の記憶はあまりありません。人を避けながら散歩して野花の写真を撮っていた気がします。
そんな1年でした。
先の見通しがつかず、ひたすらゴロゴロしながら、いつどのタイミングでどう行動しようか、そればかり考えていました。
ちなみに大学は休学。来年度はまともに授業できるんだろうか。対面授業できる状況なのかなぁ。僕の目当ての授業は夏に開講されるんですよ…。オリンピック開催は本当にするのだろうか…。
とか、とか、考えるフリしながら、多岐に渡る「コロナの影響」という言い訳がたくさんあることをいいことに、ゴロゴロしてたら2021年になってました。
何もできず、日々焦りだけが増すばかり。
友達をお茶に誘おうか、誘わない方がいいか、LINEだけでもしようか、わざわざLINEしたい内容もないな、なんてLINEを開いたり閉じたり、友人のことを思い出してみたり。
いつにも増して引きこもり、人と会わない生活。
苦痛ではないけど、そろそろ寂しいので友人に会いたいです。
じわじわと疎遠になってきている気がして怖い。
僕の脳みその半分は「万が一にもコロナに感染させないように・しないように」で埋まって、もう半分は「何かしなくちゃだけど何をしよう」で埋まって、毎日こころココニアラズ。
何もできなくて、ただただ、何かを考えて、何も考えていなかった。
考えても分かることなんて少なくて、何を考えたらいいかも分からなくて、だんだん何を考えているのかも分からなくなった。
無駄にエネルギーを消費して残ったのは「何もしたくない」と思う疲労と虚無。
1週間後、1ヶ月後、自分がどこにいて何をしているのか分からない。
一切の流れ作業が無くなった生活。組み立てようにも、手元にはせいぜい3日分のブロックしかない。元々視界1メートルの濃霧を歩いていた人生が、コロナイベント開催で視界5センチになってしまった。
「何もしてない」
「することが分からない」
ただ焦る。
自分が目指していたものから興味が無くなっていく恐怖。
無欲はこわい。
別にコロナのせいじゃないかもしれない。
コロナ渦でもみんな懸命にやれることをやっているだろう。僕が至らないだけかもしれない。でも、僕が一歩踏み出そうとしたとき、僕の足を止めるのは「コロナ」
もう「コロナのせい」ってことにしていいっすか?「どうしよう、どうしよう、何しよう」ってそればっかり考えるの、いい加減疲れました。
何もしないで生きられるなら、何もしない方が安全な気がして動けない。
何もしないことを選んだせいで悔やむことになっても「コロナのせいだよ」って許してくれますか。足踏みさえも諦めてすっかり立ち止まることを許してくれますか。未来の僕よ。
以上、一言で言えば「何もできてません!(絶叫)」という日記でした。
<おわり>