名前のない生活

何者でもない僕のなんてことない日々

コミュニケーションコンプレックス(ぼやき)

さみしい僕、つれづれなるままに。


今回はコミュニケーションにコンプレックスを抱えている僕がつらつらとぼやくだけ。

私はいつもこんなことばかり考えているんだよ(笑)


ほとんど思いついたままに書いてるので話が前後して読みづらいかもしれないけど、そもそも今回の本題が“そこ”なので

今回はこのまま垂れ流すよ。

 

※個人的な事情でしばらくPC使えずアプリからの更新なので文字サイズや見出し設定など細かな設定できないから尚更読みづらいかも。めんご☆

 

↓ここから急にネガティブポエミーになります

 

 


ブログに書きたいことはたくさんあるのに上手く書けない…。

読み手のことを考えるとどう書いたらいいか分からなくなってしまう。


自分が勝手に書いているのだから、

読み手のことなど無視して自由に書いても良いはずだけれど…。


まず、

人の目を気にしてしまうのは仕方ないね。

私が生きてきた文化が私にそうさせる。

これは私が囚われてるシガラミの1つだから

いつか未来の自分が解消してくれるでしょう。


それから、

読むことを意識してない文章はきっとつまらないと思うの。

だからある程度仕方ないかなって。

読み手を意識すれば面白くなるかと言われたらそういうものでもないのだろうけど…

読むために書く文章と吐き出すために書いた文章は違うと思う。

ブログに書くということは読んで欲しくて書いてるんだから…

私は読むための文章を書きたい。

 


そもそも、

読み手のことを意識すると上手く書けないということは

私は私ををそのまま出そうとはしていないからだね。

加工して出そうとしてるから、難しくなる。


そのままでは不味いから、

少しでも食べやすくなるように加工する。

そんな作業をしている感覚。


ブログに限らないけどね、これは私の常。

人と話すときもそうだし、

絵や漫画を描いたりするのも同じこと。


「甘いカフェオレを作ってる」という意識。

コーヒー豆は丁寧に焙煎してもそのままでは食べられない。

だから砕いて、美味しいところをお湯に溶かし出す。

それでも苦いから砂糖とミルクをたっぷり入れて飲んでもらう。


「そのままでは伝わらない」という感覚があるから加工する癖がついてて…

とはいえ、自分の中にあるものを加工し続けるのは疲れる…。

「わかる」って思ってくれる人がわかってくれればいい。


わかるひとがわかってくれれば良いとは思うけど…

そんなことってありえるのかな。

いつか、たった1人で構わないから、私がそのまま喋ってもわかってくれる人に出会いたい。

なんて乙女な妄想をしちゃうくらい

きっと疲れてる

伝えたいのに伝わらない葛藤に。


詩は良い。好きだよ。

そのままほんとのことが書かれているから…。

 


私にとって読み手を意識するというのは

●文体を明るくする

●文調を柔らかくする

という加工をするということ。


不安定な情緒で、文体も不安定になってしまうけど、

それをある程度安定させようとするから難しい。


日頃ぼんやり考えている哲学的なことも書きたいのだけど

つい難しい文調になってしまう。


ネガティブな文も

押し付けがましい文も

読み手から読む気を奪ってしまいそうな気がして、

でも私はやっぱり読んで欲しいから…

伝わって欲しいから

言いたいことが伝わるように

おいしく飲めるように毎日カフェオレを作るの。


きっとこんなポエミーな文章も…読む人を選ぶんだろう。


ねぇ、どう思う?

…と、ここで返事のない問いかけをしてみるけど。


わかる人だけわかってくれれば良いって思ってるのはほんと。


けど、

わかる人に触れたとき、伝わらなかったら嫌だから分かりやすくしようと思ってしまうし、

そもそもわかる人が触れられるように、取っ付き難さも排除したい。


だけどカフェオレはブラックコーヒーじゃない。


どう思う?

ブラックで飲んでくれますか?

私、そのままでも良いかなぁ?

加工しなくても

私の言葉聞いてもらえたら良いのになぁ。