名前のない生活

何者でもない僕のなんてことない日々

仲間100人できるかな

今まで生きてきたようにこれからも生きていくなら

大切なのは…ともだち!!!

ほしいのはメンバー。

 

こんにちは、考える葦です。

 

葦はちょっと考えた。今日もまた考えた。

これまでのこととこれからのこと。

 

基本的には「まぁどうにかなるだろ」って思うことにしたし、10年後の自分が「どうにかなるだろって思ってたらどうにかなってました」って言ってくれればそれでいいかなと思うのですけども、それでも考える。考える葦は考えることをやめられない、趣味みたいなもんだから。

 

まず前提。

人は大きくは変わらないと思うのだと思う。性質とか、本質の部分があると思う。

でも成長するから変化はする。それが周りから見た時に大きく変わったように見えるかもしれないし、あまり変わらないようにも見えるかもしれない。それでも本質は変わらないと思う。持って生まれたその人らしさ、その人をその人たらしめるもの、言葉では表せないもの。

 

だから、これまで生きてきたようにこれからも生きていくだろう、という仮説。

 

ただし重要なのはあくまで「本質は変わらない」ということ。本質を見抜けなければ変わらないものを見つけることはできない…、うん、難題。

 

で。自分のことを振り返る。自分が「これまで生きてきたようにこれからも生きていく」とはどういうことだろう。私は何に支えられて生きてきたか…何を大切に生きていくべきか…。想像…ほわわわわ〜ん💭

 

私の場合、ごく一部の「身内」に支えられてきた。

一部の家族、友人。友人もたくさんいる方ではない。

つまり、私のサポーターは少数精鋭。←答え

 

そもそも、あの…たとえば学校とかでね、職業選択とか進路選択にあたって、性格診断みたいなものを受けることも多いと思うんだけど、その結果私は「アピールが苦手。わかる人だけわかってくれればいいと思っている。もっと自己アピールをしましょう。」って結果に書かれれて、それが印象的だったのです。

 

「わかる人だけわかってくれればいい」…わかるぅ〜!!!

 

アピール力を鍛えるべきかどうかはさておき、それが自分に足りていないのはおそらく事実で(わからんけど。というか、日本人の大多数に足りてないと思う)、何よりも、自分が欲していないという事実が重要。(私は主観第一なので)

 

つまり、誰彼構わず多方面にアピールする、という圧力を持ち得ないし、実際自分を支えてくれたのは少数精鋭部隊。なので、私は、…そういうことだ。

これまでもそうしてきたように、これからも少数精鋭のサポート隊に支えられながら生きていくんだと思う。

 

少数精鋭のサポート部隊

サポート隊のメンバーの入れ替わりはあると思うの。良くも悪くも人は変わるから、私も変わるし、サポート隊のメンバーもそれぞれ変わる。

特に家族は、自分で選んだ人たちじゃないから…。もちろん、情はあるし大切に思っているけれど、これからもべったりサポートを頼るかどうかは別問題。

 

サポート隊という呼び方がどういう印象を与えるかはわからないけど、サポート隊というのは私を支えてくれる人、私がこの人に支えてもらっていると感謝の念を抱いている人…が、サポート隊のメンバー。実際その人が私をサポートしようと思っているかどうかは知らないし、この際どうでもいい。そのつもりがなくても私が勝手に支えられていればあなたは私のサポート隊

 

サポート隊の恩恵に私が返せるものはあまりないので、一方的に受け取って「よくわからんが…ありがとう!!」というスタンスは絶対的に死守していきたいとは思うのだけど(返し切れる恩ではないので放棄する)、サポートしてくれる人には…御恩と奉公というか、まぁ、できる限りのことをしてあげたいとは思うのね。と言っても私にできることは微々たるものだが…それでも全力を尽くさせていただくつもり。

 

サポート隊、快くサポートしてくれている人にはいくらでも愛情ドバドバなのだけど、必ずしもそうじゃないから、そういう意味ではある程度メンバーの入れ替わりが必要になると思う…。うっかりすると愛情を搾取されかねない。(ちょっとお茶を濁しているので何を言っているかわからないでしょうね…)

 

だがしかし!!

 

家族はともかく、友人は自分が選んだ人。最高な人々なんだ…。まじで…。時折友人大好きすぎて全世界に「私の友人は最高だ!!」ってアピールしたくなるんだけど…マジで良いのだ。

 

で。それってでもさ、ポジティブな考え方をすれば、私には「見る目がある」ってことじゃない?(尊大か!!!

雑誌とかのアンケートで見てびっくりしたんだけども、世の中には友人を信用していない人やいなくてもいいって言う人もいるらしい。そんなことってあるの…、私は私の友人めちゃくちゃ大好きだけど…。

 

不特定大多数にSOSをばらまいて少しずつのサポートを得るというのも一つの方法。それはとても強いと思う…。

たとえばサポートポイントが1万ポイント必要だったとき、1万人から1ポイントずつ貰えば1ポイント獲得できる。そういう手法。

 

でも私にはそれが苦手。できた試しないし、できる気がしない…。でも1万人のサポーターがいなくても100人から100ポイントずつもらえば1万ポイントなんだから、100ポイントくれるサポーターを100人見つければいい。なんなら、1000ポイントくれるサポーターを10人でも1万ポイントに変わりはない。

つまり、これが、少数精鋭サポート部隊…。

 

一人当たりのバランスはともかく、

「誰か〜!誰か〜!」っていう声のかけかたじゃ自分の人生は上手くいかないっぽい。

「あなた、いつもありがとう!!!」っていうことなんだと思う。たぶね。

 

ともだち100人できるかな…、ということ。

ともだちっていうか、サポート隊っていうか、仲間っていうか…。特別な3人と、実は大好きな7人と、ほどほどの30人と、挨拶を交わす60人…みたいな…?ま、そのくらいでなんとかなるっしょ(笑)。

 

実際は100人も無理だよ。名前覚えられないし(笑)。指折り数えるくらいで大丈夫だと思うんだよね。そんなにたくさんは大切にできないから、大切にできるだけを大切にすれば十分。

 

「見る目ある」からさ、たぶんなんとかなると思うんだよね(笑)

 

ところで

ある方が言っていたのだけど、創作の話で、

自分がめちゃくちゃ好きなものを作れば1000人に刺さる

…とのこと。なるほど。

1億回再生はいらないけど、1000人の「好き」は欲しい。1万いいねはいらないけど10人からの「大好き」が欲しい。それくらいがちょうどいいね(目標としても)。

 

別に結論はない話。「…と、思いました!まる!」っていうだけの話。

今はまだ模索中だから答えが出ない。う〜ん。

アピールの矛先と自分のあり方と…う〜ん。

 

いずれにしても“自分”ってものをもうちょっとしっかり握っていられるようにならないと何にも始まらないんだろうな。そういう意味での“模索”でしょうな。

有り体に言えば「自分らしさ」を探す「自分探し」。オエェ_| ̄|○(有り体すぎる…。)

 

あとちょっと話違うけど、

創作に関して…チームってのが、やっぱ、いいなぁと憧れているのよ。

ん〜、たとえば、基本メンバーは5人前後のチームで、サポートメンバーちらほらで全部で10〜15人前後の“仲間”で何か…いろんなモノ作りができたら楽しいだろうな…という漠然とした構想。

 

…音楽好きだから音楽とかやりたい!!エヘエヘ…。でも私は音楽できないから…たとえば…MVの何かとか…(漠然としすぎている)。

 

1人でできることもたくさんあるけど、1人じゃできないこととか、1人じゃ見れなかったものってあると思うのだね…。パブリックというか…こう、外に向かって大きく開いた創作も重要だと思うけど、ウチウチでぎゅっと寄り合って密度高めて作ったものを外にポーイする方法もあっていいと思うだよ。

だからチームと言っても固定はしたくないのよ。束縛っていうか…?両方あっていいと思う。両方あるからいいんだと思う。どっちも大事、二足のわらじ。

 

…単純にさ、お互いの作るものが好きな人同士で集まって、和気藹々と互いの創作を讃えながらみんなで創作するのって楽しいじゃん

ということでふわっとメンバー募集中!!!(笑)

 

まぁいっか!とりあえずそん感じで、どんな感じかわかんないけど!

 

おわり!