名前のない生活

何者でもない僕のなんてことない日々

自分が自分になる感覚についての徒然

こんにちは。寒くなってまいりました…。

布団から出たくない朝が続きます。みなさま風邪に気をつけてお過ごしください。

 

ラジオを聞いていて思ったことがあったので書きたいと思います。

久しぶりのブログ更新。

話題は「自分が自分になる感覚」について、です!

 

 

NHKラジオの「石丸謙二郎の山カフェ」を聞き流しながら作業していました。

ゲストは探検家の方だそうです。

 

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19年11月9日放送「石丸謙二郎の山カフェ」ゲスト:角幡唯介

放送後記 - 石丸謙二郎の山カフェ - NHK



そのゲストの方が色々お話をなさる中で、

「昔より今の方が自由になったと感じる。自由というのは自分勝手にするという意味ではなく…自分が自分になる…という感じ。30代のころはまだそんな風ではなくて、でも今は自分が自分になった…自分の人生を生きている…個別性が確かになってきたという感じだ。」

…というような内容を話していました。

 

細かい文句は忘れましたが…、ニュアンス的にはこんな内容だったと思います。

少なくとも私はそう解釈し、受け取りました。

 

この方の話を聞いて私が面食らった部分は

40代になっていよいよ自由になれるのか、ということです。

 

= = = = = = = = = =

 

この探検家の方が仰ってた「自分が自分になる」「自分として生きる」という感覚や、

それがイコール「自由であること」だ…というのは、わかる私もそう思う!と思うのですが…

 

私は、なんとなく、

30歳くらいになれば、“「私」という生き物である”という統合された感覚で生きられるようになると思っていたので、

 

それが30代じゃまだまだ…40代になってやっと自由に生きるために必要な経験や体験の蓄積量に達するんだ、ということにうっすら衝撃を覚えたのでした…。

 

30代はまだまだ道半ばなようですね。

 

しかし、このラジオでの話を聞きながら改めて考えてみるとたしかに、

例えば私の叔母や叔父は「30代になって、または、35を過ぎてようやく自分を信じることができるようになった」と言っていました。

 

自分が自分であること、自分を信用すること、信頼すること…

そういう全てが「自分が自分になる」「自分を生きる」ということであり、

「自由に生きる」ということなのだと思いますが、

 

口々に「30超えてからやっと徐々に」というニュアンスを含んだ言葉を

大人達が言うということは、やはり、

個人差はあれども、自分を生きようとしている人がやっと到達できる瞬間というか、必要な経験値が確保できる瞬間…は、30代を過ごす中で徐々に確信めいてくるようなものであって、まだまだ齢25の私からは遠いところにあるようです。

 

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…と、30歳になった自分を楽しみにしていた私が少しばかり落胆した一方で、

(本当言うと30歳よりも早く、28歳くらいで「とあるひとつの人生における確信を得るだろう」と思ってた…笑)

 

40代は30代以上に自分が自分になり、自分として、自由に楽しく生きていけるんだ…という気づきが未来の大きな楽しみのひとつになりました。

 

20歳を過ぎた頃から「自分」というものを少しずつ認識できるようになってきて、拡散していた自分が徐々に統合されていく感覚がありまして…、

でもそれはまだまだ…「きっとこれから私は統合されていくだろう」と予感させる程度の危ういものでしかなかったので、

 

徐々に統合されていき「28歳になるころにはその統合作業が1つの集大成を迎えて30代は自分らしく軽やかに自分の人生を生きられるようになるんじゃないか」という感覚がありました。

 

なので30代になった自分が楽しみで仕方ないのです。

 

これまでは40歳、50歳となった自分に感覚的なビジョンは何も伴わなかったのですが、今日のラジオを聞いて、「30代は私が思っていた以上にまだまだ青く、40代になってよりいっそう自分自身としての“落ち着き”(自身が定まる感じ)が出てくるのかもしれないなぁ」…と思いました。

 

となると、50代、60代はさらに磨きがかかり安定した自分になりながら、

今度は“成熟”の過程へ向かっていくんだろうなと思います。

 

楽しみですね、人生。

 

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ここからは余談。

 

ラジオ「山カフェ」でゲストの探検家の方の話を聞いていて面白かったのは、

その方がこれから先のビジョンについて尋ねられたときに、

「おそらく探検は続けていると思います、ほかにすることもないし…これから新しいことを始める勇気もないので。今から農家になりますって言ってもねえ(笑)」

とお話しされていました。

 

探検家・冒険家として、何度も命の危機を経験している方が、

「勇気がない」と言ったのは面白かったですね。

 

しかも探検家なので、新しい場所、人類が行ったことがないような場所に足を踏み入れるようなことを生業にしている方ですよ。

 

これからも探検を続けるということは、「これからも未知の世界へ足を踏み入れながら命の危機と対峙するだろう」という意味でもあると思いますが、それを続ける勇気はある…。でも自分の知らない分野のことになると新規参入する勇気はない…。

 

人は何を恐れるのか、勇気とは何か…という部分が垣間見えた気がして興味深かったですね。

 

経験と体験を積み重ねた上に私たちは立っていて、

自信はその積み重ねたものによって支えられるんだなぁと、

どこかで誰かが言っているような当たり前のことを改めて感じました。

 

そして、

どの人も、その人がその人として生きてきた積み重ねが、

今の自分、そしてこれからの自分を作り上げていくんだ…という実感。

 

実に面白い。

 

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おわり