名前のない生活

何者でもない僕のなんてことない日々

「完璧じゃない、あたしたち」読了

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玉谷晶さんの短編集「完璧じゃない、あたしたち」を読み終えたので、自分用に残しておきたいフレーズを抜粋し記載します。

 

最近、気に入ったフレーズをカードに書いて保存し始めたのですが、今回の抜粋は長文が多くなりそうなので中略挟まないバージョンはここに置いておこうと思います。

ただの引用一覧だとひとの作品を転載するだけの記事になってしまうので、なけなしのオリジナリティとして感想も添えておきます……!笑

 

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☆本の概要…「完璧じゃない、あたしたち」玉谷晶 ポプラ文庫、第1刷

恋愛、友情、腐れ縁……名前をつけるのは難しい女同士の物語、23篇が収められた短編集。私は特に『陸のない海』『ときめきと私の肺を』『シオンと話せば』『カナちゃんは足が無い』『東京の二十三時にアンナは』が好きでした。

 

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以下、本文からの引用とそのフレーズにまつわる感想です。

 

酒と恋は似ている。浴びるほど飲んで騒いだあと内臓がひっくり返る勢いで吐きながら「もう一生酒は飲みません」と信じてもいない神に誓った朝が何回あっただろう。恋も同じ。片思いでも運良く付き合えた場合でも、そこにあるのは幸せ♡とかときめき♡じゃなくて、下品な高揚と混乱と酩酊。世界がグルグル回って何も見えなくなって言ってることもわけわかんなくなって、気がつけばフラフラ。そして酔いが醒めれば、ゲロと一緒に後悔が襲ってくる。

p.66,l.1『しずか・シグナル・シルエット』

『しずか・シグナル・シルエット』の書き出しの文。キャッチーでするりと読める、面白い文だと思ったので抜粋。短・長・短・長でリズムの良い文が続くのが心地良いし、読みやすい。一言目からお酒を「酒」と呼び、それと恋を結びつける書き出しにどこか殺伐としたやさぐれを感じる。そのままリズムよく、ささくれのような文章が続く。終いには恋を「酔いが醒めればゲロと一緒に後悔が襲う」と締めくくるのも痛快。

 

「せっかちなのはお父さん似だわね。ほんとにだんだん似てくる。気味悪いくらい」と、言われても私は父の顔を憶えていない。二歳になるかならないかのときにバイクで事故って死んでしまったのだ。母さんとお姉ちゃんが言うにはたいそうせっかちな人だったそうで、常に落ち着きがなくせわしなく、そのまま人生を倍速でかっ飛ばして三十代半ばで逝ってしまった。

p.108,l.8『だからその速度は』

これもリズムが好きなので抜粋。「常に落ち着きがなくせわしなく」に読点がないので、するりと読めてせっかちな様子が感じられる。読点を挟み一呼吸もそこそこに、「そのまま人生を倍速でかっ飛ばして三十代半ばで逝ってしまった」と一息に続くのもバイクのスピード感を彷彿させる。最後の一文にバイクの文字はないのに「かっ飛ばす」の文言があるせいか、自然と駆け抜ける今は亡きライダーの情景が浮かぶ。

 

「今回の店舗はラグジュアリー&スロウがコンセプトなわけでしょ。宇野君、真逆でしょ。ハードコア&スピードメタルでしょ」

社長が一瞬無駄に上手いエレキギターを掻き鳴らす。

p.113,l.9『だからその速度は』

社長も上手いが主人公も上手い。座布団一枚!

 

「怖いんです。若さが財産になってしまうのが。きれいなほど物みたいに値踏みされる。私は静かに生きたいんです。自由になるために、この姿になったんです。だから放っておいて……何も訊かないで……」

p.165,l.10『イエローチェリー・ブロッサム』

あらすじ:技術が進化して肉体の年齢を固定できる医療が一般化した世界の話。女性の多くは十代後半など二十歳前後に年齢を設定・固定し、男性の場合はもう少し高い三十前後の年齢に固定することが多いらしい。誰もが美しく若々しい世界で主人公もその施術を受けようとするが、急に怖くなってしまう。そんな中、老いた姿をした女性を見かけて声をかけるとその人は医療技術を逆に使って老いた姿になった十代の女性だった。その老婆の姿をした若い女性は泣きながら言ったのがこのセリフ。

ディストピア的な要素もある小説だと思う。ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の最終回、主人公みくりさんの叔母であるゆりちゃんのセリフ「自分に呪いをかけないで」を思い出した。若く美しくあることが商品棚に並ぶ様な感じがして、そこから離脱することが自由と安寧につながるというのはなんというか、不思議な感覚。幸せになるために若く美しくあろうとする世界で、幸せになるために老いた姿を選んだ人がいるということ……。初めは目的のための手段であったのが時間を重ねることで、手段が目的になることがあるよね、と思った。

 

この世の全てが糞の塊に見えるときと、何もかもが輝いて見えるときがあって、どっちにしろその世界で自分は一番みじめな存在だと思っていた。脳みその中の鈍色の城に映画と本と味も分からない酒を詰め込んで、こんなところで終わる人間じゃないんだと毎日自分に言い聞かせていた。つまり私は、どこにでもいる普通の十九歳だった。

p.201,l.15『ときめきと私の肺を』

「わかるわかる」と思いながら小説の文章を読むけれど、「つまり私は、どこにでもいる普通の十九歳だった」と締められていて痛烈。小説らしい文体で滔々と書かれているのに、一言短く現実を突きつける感じがいっそリアル。最高に惨めだと思ってもそれは飛び出た何かではなく、凡庸である現実をパシャリ冷や水の様。

 

「つらいね」

数回ふかした後に、マリさんがそう言った。

「つらいです」

私は素直にそう返していた。心はいつの間にか鈍色の城から出ていた。

「つらいことたくさん」

歌うような柔らかいマリさんの声でそう言われると、つらいことをつらいとそのまま受け止められそうな気がした。私はつらい。金が無いのがつらい。自分だけでなく実家も借金まみれなのがつらい。学歴がないのがつらい。醜い容姿がつらい。新人賞に何度も落選するのがつらい。尊敬されないのがつらい。この先どうなるのかさっぱり分からないのがつらい。とてもつらい。そう、つらいんだ。他の誰でもなく、私がつらい。

p.205,l.1『ときめきと私の肺を』

境遇を憂いるより反吐を吐く様に苦虫を飲み下し続けていた主人公が急に、ふとゆるんで「つらい」と言葉にすることができたシーン。柔らかなマリさんがふかすタバコの煙、そのもののようだと感じさせる。「あぁそうだ、私は、つらいんだ」と何かがゆるむ瞬間、事実は何も変わらないのに呼吸が楽になる瞬間。それをただ素直に、上手に書き表している小説だと思った。好きです。

 

骨折をしたら引きこもりになってしまった。

元から労働が嫌いなうえバイト先の倉庫で店長に砂糖ダース入りの箱を足の上に落とされポッキリ→バイトだから労災ないけど見舞金で勘弁してねな銭付き骨折だったのでもう勤労意欲はマリアナ海溝よりも深い奥底に沈み込んでしまい、だいたい治った今でも実家でゴロゴロしている。してしまっている。

労働も嫌いだけど、人と会うのももともと好きではない。なのでいざ引きこもってみるとこれが快適で快適で、やめどころが分からなくなってしまった。

 p.334,l1『ファー・アウェイ』

『ファー・アウェイ』の書き出しの文。これもまたリズムよく労働を放棄した経緯と開き直りが書き連ねられている。「している。してしまっている。」のリズムで義務感や後ろめたさがぶわっと広がるけれど、「快適で快適で」の部分で自分を律したい気持ちと同じくらい、今の状況に甘んじたい気持ちが見えて、「やめどころが分からなくなってしまった」で現状に足をつける感じが良い。抑揚や緩急をつけながら読点も少なくトントン拍子で起きたことの説明と気の持ちようと状況と今後の見通しを示唆しているのが上手で面白い。

 

「しょうがないねえ」

何がしょうがないのかよく分からなかったが、母はそう言って私の頭の毛を何度か撫でた。

p.344,l.9『ファー・アウェイ』

「ばか!だから言ったじゃん社会復帰しろって!人間やめちゃってんじゃんこんなの!」

p.344,l.14『『ファー・アウェイ』

クマか何かの獣のように全身毛むくじゃらになってしまった主人公に向けた母の言葉と友人の言葉。全身毛むくじゃらになってしまうという異常な状況なのに、その異常さに対して「パチンコで擦っちゃった、お金ちょうだい」って言ってきた相手に向かって言うような程度のリアクションで返しているのが面白い。終始異常な状況を受け入れるまでが早い小説で、指摘してはいるもののちょっとズレている周囲の感じも合わせてはちゃめちゃで面白い短編。

 

巨大で複雑な東京の駅の構内は、小さな子供がでたらめに繋いだレゴブロックのようだった。

p.349,l.9『東京の二十三時にアンナは』

とても言い得た良い比喩ですよね。

 

東京は観光都市だからどこでも英語が通じるし表示もしてあるというジェイコブの言葉を信じてほとんど何も準備をしないで来てしまったけれど、ここは、想像以上に日本語の国だ。アンナはこの一ヶ月何をするにも戸惑って、まごついている。

p.351,l.8『東京の二十三時にアンナは』

日本は島国で排他的なせいなのか、郷にいれば郷に従えの文化というか、簡単に言えば“よそ者”に不親切なところがあると思う。「想像以上に日本語の国だ」という表現はそれを端的かつ的確に表現していると思った。

 

「いろんな土地を巡って気付いたよ。人種や宗教や肌の色の違いがちっぽけだって思えたのは、彼がお金持ちで白人で大人の男だから。人種も宗教も肌の色の違いも、私にとってはぜんぜんちっぽけじゃない。全部生死に関わるんだよ。怖い思いをいっぱいした」

「……東京でも?」

「東京でも。シカゴには行ったことないけど、きっとシカゴでも。あんたはどう?」

「東京では……怖い思いはしていない。少し、その、寂しい感じはするけど」

「それはきっと、東京の人があんたを怖がってるからだよ」

「私は怖くない」

「背の高い黒人の大人の女はここでは怖がられる」

「……ひどい」

「じゃあシカゴでは背の低い若いアジア人の女はどんな風に扱われるの?」

アンナは黙った。胃の奥がぎゅうぎゅうと痛くなった。ついてこなければよかったと思った。やっと会話らしい会話ができたと思ったのに。

「誰だってぱっと見の外見だけでその人のことを決めつけるよ。私もそうだし、あんたもきっとそう」

p.356,l.10『東京の二十三時にアンナは』

夢も希望もない現実を突きつけてくる文章。でも実際そうだと思う。うわべや理想とは別に体感があって、みんなそれを感じているけど、でもそれをはっきりと口に出せるかどうかがこの韓国人の女の子(サニョン)の特異な点だと思う。さばさばと現実を吐き出すだけ。歯に絹着せぬ物言いですね。でもそれを言えるのはその現実を受け止めているから。知らないふりして笑って誤魔化している人たちより何億倍も安全で信頼できると思う。

 

もうここは見知らぬ街ではなかった。一人で立ち尽くすしかない街ではなく、ソウルからやってきたよく食べる女の子と出会った街になった。アンナは歩く。ブックストアを探して、日本語を勉強できるテキストを買って、それからジェイコブに電話をしようと思った。

ジェイコブのフクオカはどんな街なのだろうか?今夜の東京はとてもいい街だと、彼に早く伝えたい。

p.359,l.15『東京の二十三時にアンナは』

そうだよなぁ、そこがどんな場所であるかって、ただそこにどんな思い出があるかというだけで、“こういう場所です”という共通認識なんてどこにもないよなぁ。って思った。「ジェイコブ“の”フクオカ」という表現もそれを表していていいと思った。サニョンと出会って気持ちが明るくなったアンナの「彼に早く伝えたい」というモノローグ(地の文)で物語が綴じられているのもいいと思った。本編で多くは語られなかったジェイコブ(夫)とアンナ(妻)の関係性が垣間見える気がして。

 

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以上、抜粋引用と感想でした。

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おわり