名前のない生活

何者でもない僕のなんてことない日々

2020.3.11

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あの日幼かった君は。

 

2011年3月11日、東日本大震災

昨日の景色のように思い出し、ふとした日常に影を落とす。

 

あれから9年。

もうそんなに?あっという間だ。そう感じるのは私が歳を重ねたからでしょうか。

 

3.11に触れる文章を書くのは初めてかも。

あの時飲み込めなかったもの、長い時間をかけて咀嚼され始めたのかな。消化しきれそうにないもの、山ほど抱えて、きっとまだまだ末長く。

来年で10年。10。なんだか一区切り、という数字ですね。

 

忘れないで、と言う人がいます。

思い出したくない、と言う人もいます。

 

私は阪神淡路大震災の時にはもう生まれていたけれど全く記憶はありません。どこか昔のことのように感じる。例えば、地下鉄サリン事件もそう。生まれていたけど、戦争と同じくらい、遠い。

 

東日本大震災を経験していない子どもたちがもう8歳。

あの日、黒い絵の具で画面を潰した絵描きも、悲嘆を詠った詩人も、声を震わせた音楽家も、今では皆笑って生きているでしょう。それでも今日、きっと涙を流すの。

 

けれど、悲嘆はそれぞれ“自分で”やればいい、と思う。

いたずらに誰かの嘆きを誘ってはいけない。苦しいから。

 

失ったものを忘れたくないと思いながら忘れゆく人の性。その苦しみは自分で背負うしかない。しかたないのだ。誰かを巻き添えてはいけないね、悲しみたくない人もいるから。寄り添ってくれる人と共に泣けばいいの。笑いたい人は笑えばいいの。私はそう思うよ。

 

***

 

災害も、事故も、事件も、“忘れてはいけない”理由を、考える。

 

忘れてはいけないのは、同じことを繰り返さないため。そうでしょう?

“忘れない”というのはあの日の苦しみをもう一度体験することじゃないと思う。

思い出して悲しくなるのは悪いことじゃない。大いに悲しみに埋もれたらいい。ただ、「それでは皆さん悲しくなりましょう。嘆きましょう。」というのは違うと思うのです。

 

後悔や悲嘆を蔓延させて“繋がった”気になるのは無意味だと思う。

必要なのは省みて次に活かすこと。これから私たちはどう生きるか。

 

もう2度と同じことが起きないように、私たちができること。

もし同じことが起きてしまった時に、私たちができること。

もし今同じことが起きた時、自分は対応できるだろうか?

失われたものの大切さを思い出し、未来に繋げる。身を引き締める。そうゆうことを考える日にしたらいいと思う。

 

災害が多発、復興支援はどこかしこ。

いつだって今を生きるのに精一杯だから。

存分に悲しんだら、それを抱えたまま、笑えたらいいね。

 

助け合いの気持ちを思い出してください。

支援の気持ち、譲り合う気持ちを思い出してください。

トイレットペーパー買い占めないでください。

デマに踊らされて誰かを傷つけないでください。

その言動で困っている人がいます、悲しんでいる人がいます。

……忘れないって、そうゆうことだと、私は思うよ。

 

おわり