名前のない生活

何者でもない僕のなんてことない日々

自分語りについて考えたら言論の自由に行き着いた

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はろー、こんにちは (´ω`)ノ  葦之助です。

自分語りは疎まれるという認識があるのですが、「自分語りをしてはいけないなら何を話せばいいの?」と思ったので、今回は“自分語り”について考えてみようと思います。

 

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私の思う「自分語り」

私は、「私事(ワタクシゴト)について滔々(トウトウ)と話す」「主観に基づく考察を滔々と話す」等、読んだ人が「知らねーよ」って言いたくなるような、本人以外には興味がないような話をするのが、いわゆる自分語りなのかな、と認識しています。

 

……あれ?でも、だとすると、ほとんどのブログは自分語りではないか?

日記的なブログは個人的な出来事を語っているので自分語りということになってしまうし、日記以外でも、感じたことや考えていることについて書くというのはあくまで主観的・個人的な話題を一方的に話すことになってしまうので自分語りとも言える……🤔???

 

まとめサイトのように情報を整理して提示しているだけで自論を展開しているわけではないブログは違うかもしれないですが)個人的な出来事や感想等を書いたブログは自分語りということになってしまうのでは???

 

自分語りがNGだとすると、ブログって何を書いたらいいんでしょうか……。

 

 

自分語りとは?調べてみた

ということで、ブログの名誉のためにも(?)自分語りについてGoogle先生にお尋ねしました。

 

辞書的な意味

自分語り

自分自身に関連する私的な物事について、会話の中やブログ、SNS上などで詳細に語ること、あるいはそのさまを意味する俗語。「自分語り」の語は、その「語り」の内容にさほど興味がなく、鬱陶しいという感情を抱いている聞き手によって、否定的に用いられることが多い。

(引用:weblio辞書)

……ウェブリオ辞書の説明を見る限り、概ね私の認識は間違っていなかったようです。

 

自分語りについて書かれた記事を読んでみた

さらに“自分語り”についていくつかウェブ上の記事をササッと読んでみました。ササッとね。

 

①「自分語りをする人が苦手。心理や対処法などを知って上手に付き合おう」byMINE

www.mine-3m.com

▶︎ざっくりまとめ

・自分語りとは自分のことばかり話すこと

・特に自慢話は嫌われる

・自分勝手で承認欲求が強い人が調子に乗って自分語りをする

 

《感想》

たしかに、自慢話ばかりが続くと「あ〜、はいはい(-_-)」って気持ちになるけど、あの感情って一体何なんだろう。このMINEの記事もそうだけど、自慢って自慢する側に問題があるように言われがちだけれど、私は聞いた方の受け取り方の歪みもある気がする……。

それはともかく、この記事では主に会話を想定して書かれているようでした。ブログなどのネットコンテンツと、対話・会話などの対人コミュニケーションでは“自分語り”の持つ意味や問題点も変わってきそうなので、この記事に書かれた内容をそのままブログに転用するのは違う気がする🤔

 

②「出たー!自分語りばかりする人の10の心理と特徴」byミラープレス

miror.jp 

▶︎ざっくりまとめ

・自分語りする人は周りが「興味ねーよ」と思っているのに自分語りを続ける

・自分アピール、かまってほしい、承認欲求、褒められたい、ナルシストetc…

・人に興味がないから自分語りをする人もいる

 

《感想》

全然関係ないけどこの記事、CMデカすぎだわ……読みづらい。CM多すぎて本文と区別がつかないサイトって読みづらくて好きじゃない。

それはさておき、この記事も先ほどの記事と同様に、対話・会話を想定した記事でした。ただ、この記事で「お!」と思ったのは、自分語りではない話の例があったところです。人に興味がある人であれば「友達の〇〇さんが〜」とか「近所の人が〜」とか、自分以外の人の話もしますよね?というようなことが書かれていて、「なるほど、そうゆう話題なら自分語りにならないのか。」と思いました。

でも、私は捻くれているので、自分以外の人の話でも結局「〜〜〜と思った私」という“自分”の語りであり、主観的話題=自分語りなのでは?と思います。

むしろ他人の話題こそ歪んだマウントの場合もあるので、本人の自慢話以上に「で?」って思う話もあるんじゃないかなと……。「俺の友達が昔ニューヨークでショーをやってさぁ」みたいな話は「俺、昔ニューヨークでショーをやったことがあるんだよね」って話よりも一層つまらない、みたいな……変な例文を出してしまった(笑)

 

③「もう関わりたくない…。自分語りをする人って、なんでうざい存在に見える?」byOmochiのぶちまけまくり

hiro-hydra.com

▶︎ざっくりまとめ

・アピールが鬱陶しい

・特に実態のない自慢話は「こいつ何言ってんだ?」って思う

・実態を伴わない未来へのやりますアピールもイライラする

 

《感想》

なんだこいつ、偉そうに……。おっと失礼。ディスっている文章ばかりを読んでいたら気が立ってしまいました。この記事も対話・会話など、対人コミュニケーションにおける自分語りについて書かれていました。

文章が私の好みではなかったので「ちょっと何言ってるか分からないです」という気持ちになりながらザザーっと読みました。

 

自分語りについて語ってる記事の共通項目

3つ記事を読んでみましたが、どれも会話における自分語りがうざいという内容だったので、先に書いたウェブリオの説明では自分語りの場にブログなども含まれていましたが、ネットの壁打ちコンテンツではあまり気にしなくてもいいのかも……?

 

そもそも、ウェブ上の発信コンテンツは「見たくないなら見なければいい」という行動が簡単にとれるので、各々そのサービスを利用するのがいいでしょうね。(元も子もない)

もちろん、最低限のマナーや思いやりは必須。ブロック機能があるからといって、嫌がる人がいると知っている行為を働くのは良くないですよね。わざわざ言うことじゃないかもしれないけどね???(圧

 

3つの記事を読んで共通していたのは「他人の自慢話はおもしろくない」ということでした。自分語り=自慢というわけではないと思うのだけど、総じて、アピールとか自慢が嫌だっていう内容の記事だったようにも感じます。

ところでなぜ自慢っておもしろくないと感じるのか。劣等感やマウント等の心情も絡んできそうですね。うーん🤔……まぁ、それについては別の機会があれば。

 

「対話中に自分の話をしすぎる」というのも共通の内容だったと思いますが、それってコミュニケーションの問題であって、「自分語りが悪い」と言うのはちょっと違うような…。「一方的に自分の話ばかりされるのが嫌」という意味であれば、発話のバランスの良いコミュニケーションを取ればお互いに自分語りしても問題ないんじゃないか?と思うのですが、お互い語り合ったらそれはもう「自分語り」とは呼ばないのかな。どうなんでしょう。う〜ん。

 

 

私は自分語りを読むのが好きだよ

“アンチ自分語り”な記事を紹介しましたが、私自身はどうかと言うと、けっこう他人のどうでもいい話を聞くのが好きで、ラジオだとパーソナリティーが個人的などうでもいい他愛もない話をしている時もあるし、お便りが「昨日は孫の運動会でした。ゴールでこちらを振り返って手を振る姿がかわいかったです。」とか「庭のトマトが花を咲かせました。実がつくのが楽しみです。」とか、わりとどうでもいい話が多くてほっこりします。

ニコ生の一般雑談配信も、わりとどうでもいい話をぐだぐだしていることが多いので好きです。ブログ記事もそうですが、自論を展開しているのを読んだり聞いたりすると「ふむふむ、なるほど」と思ったり「へー、そうゆう考え方もあるのか」と思ったりしてけっこう楽しいです。特に、何か能動的に情報を仕入れようと思ったときではなく、何の気なしに雑談聞いてたら「なるほど」と思うようなことがあるときは、何か充実感を感じます……。自分の話ばかりされるのも別に悪くないんじゃないかな〜。少なくともネット上においては。

 

 

結論:みんな好きにしたらいい

これを言ったら元も子もないですけど、みんな自由に書けばいいし、喋ればいいと思いました(笑)

 

自分語りについて書かれた記事を読んでみたら、自分語りをする人のことをディスってボロクソに書いているように感じられて、私は気持ち良くなかったです。

 

なので、どんな内容でも、面白いと思う人は面白いと思うし、うざいと思う人はうざいと思うし、良いと思う人もいれば嫌だと思う人もいるんだろうなぁ……と思いました。当たり障りない当たり前の結論になってしまいましたが。

 

どの人も自分らしく振る舞い、それを受け入れ素敵だと思ってくれる人のそばに身を置けばいい。自分が嫌だなと思う振る舞いをする人とは距離を取ればいい。嫌だと思いながら一緒に居続けようとするから無理がかかってディスったりヘイトが溜まったりするんでしょうね。

 

いろいろね、自由には振る舞えない事情があるから人間関係は悩ましいのだろうと思うけれど、やっぱり素直な心が一番ですよ。うん。なんだこの結論は(笑)

 

おわり