悩みというか「森に住む妖精になりたい」が結論の愚痴ですが…後編です。
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前編は事務的な難易度が高くて通信大学がキツいし、やっと頑張って練り上げたプランも崩壊してツラいという話だったかと思います。
では続き。
かねがね思っていた不満や不安がこころに充満(2/2)
以前から大学に感じていた不満
今回、大学に相談するにあたって、「AというプランやBというプランができなくもないけどしんどいのでCというプランを許可してもらえないだろうか。」という内容を送りました。
その返信としては「Cはありえません(バッサリ)。Bのプランなら提出期限がシビアなので注意してください。どうしても2020年内に受講したいなら(Aのプランだと2021年度に受講することになってしまうから)、京都キャンパスでスクーリングを受講したら2020年内に受講できます。」という内容でした。
京都キャンパスで受講できる経済的余裕があるならそもそも悩んでねえんだよ〜〜〜〜〜(怒)
という気持ちになりました。
京都まで行く交通費や、京都での宿泊費、持ち運べない画材やパネルの宅配送料など、それらの費用を負担するのは学生本人です。
そもそも私が通信大学に通ったのも学費が抑えられるからです。
金があるなら頑張って勉強して美大に通いますわ。通いたいんだわ、ほんとは。
前々からうっすら感じていたことなんですがこの大学の運営陣は、学生に対して「金持ちの道楽」か何かとでも思っているんだろうか。
私は金持ちじゃないんですが?
特に私が専攻しているのが日本画であることが私の懸念を助長させる理由のひとつになっていると思います…。
日本画は画材自体が他の画材に比べて高いものが多いので、やるだけでお金がかかる画法であることは否定できないと思います。
(とはいえ、現代では安価な画材も開発されているので、妥協できるなら他の画法に比べても、めちゃくちゃお金がかかるというわけではなく、描くことはできます。そしてもちろん私が使ってるのは安価なやつで〜す。)
日本画コースの在学生の多くは中年より上の年代が多く、「お年寄り」とか「老後」と呼ばれる世代の人がメインだと思います。同世代の人はほとんど見かけません。
(デザインコースとかになると若い人が多いらしいので専攻によって主要学生の傾向があるらしい…。)
スクーリングで会話しているのを盗み聞きしていると「○○さんはアトリエがあって」とか「息子が医者で」とか「京都キャンパスも行ってみたんだけど」とか言っているので、私自身も「住む世界が違う…」って思っています。
実際「老後の楽しみに、どうせなら大学でちゃんと勉強したくて」と話している人たちもいるので、大学もお金がかかることだし、画材や道具を準備するのもお金がかかることだから、“金持ちの道楽”とまでは行かないけど、「日本画コースの学生の中心層が金銭的にも時間的にもゆとりがある人たち」という気はします。
絵ではお腹は膨れませんので、確かに絵画自体が娯楽だし、そんなことを勉強できている時点で私も「お金がない」とは言えないのでしょうけど、
でも絵を勉強しようか決断する時に「お腹が空いて死んでしまう状況になるとしても絵を描きたいか」という自問自答をするくらいには覚悟が必要なことでした。
だから安易に「ここにいる人たちは800円くらい出せるでしょう」というようなことを言われると、私は「うーん」となってしまうんです…。
「800円くらい」というのは実際にスクーリングで先生が冗談半分で言っていた言葉です。日本画道具として特殊なスプーンがありまして、そのスプーンの説明の時に先生がした「計量スプーンとか形状が似た他のスプーンでも代用できるけど、一杯あたりの分量が日本画で使う画材の基準になっているので、800円程度で入手できるから他のスプーンで代用するよりも専用の道具を使った方が便利だし、ずっと使えるアイテムだから長い目で見たら800円は安いもんだから、なるべく専用のスプーンを買った方がオススメですよ」という旨の話の中で出てきた言葉でした。
通信大学に在学していて若干、日本画の画材に限らず、いろいろ「買わされる」感じがしちゃうんですよ…。
(「必要な教材は配布しろよ〜!」と思う機会がちらほらある…。今まで配布していたのにデジタルは無料でアナログ配布が有料になったものとかもあって、でも先生は「デジタルでも見れるようになってるけど使いづらいのでできればアナログで買ってください」って言ったりする。なんじゃそりゃ。)
学習に必要経費がかかるのはわかるけど、出来事の端々から「余裕あるんだからこのくらい出せるだろ」と言われているような気がして、なにかとケチ臭い気持ちになっちゃうんだよなぁ。
「余裕があるからここにいるわけじゃないんだけどな…。趣味教室のつもりでここにいるわけじゃないんだよな…。私はこれからも絵を描くために生きたいと思っているし、絵を描きながら人生を続けるための経済力を確保するためにどうしたらいいかに毎日のように頭を悩ませ不安に心がかき乱されているんだけどな…。」という気持ちになります。
大学の提供するデジタルアイテムが使いづらい
勉強に必要なアイテムも最低限しか配布されないし、スクーリングも毎回受講料を納めないといけないし、じゃあ毎年私たちが納めている学費は何になっているんだろう…という思いがあります。
スクーリングのキャンパスも荷物の受け取りはできないので手持ちで持ってこいとか、不親切な設備がけっこうあって、「せめてロッカーくらい置いて欲しいよね、そのくらいはしてくれてもいいじゃんねぇ」みたいに言っている人もいるので、みんな不満があるって言ってるよ!(小学生の説得術)
でも「通信大学のシステムを維持するためにお金がかかるんだろうな、ぼろ儲けしているわけじゃないんだろうな」…と…思…いたい。
なので「アナログ教材をケチるなら、せめて大学がオススメしてくるデジタル教材が充実していれば…」と思うんですが、
デジタル教材がめちゃくちゃ使いづらい。
IDがもらえて使えるようになる通信学生用のサイトがあって、大学は「このサイトがあるから通信でも安心!」みたいなことを売りにしてくるんですけど、私としては「なんだこれ分かりづら!使いづら!!」って感じです。
受講計画のシステムも一応あるんですけど計画しづらいシステムだし、計画結果も見づらくて使えない。質問フォームとかスクーリングの申し込みでしか使ってないです。(郵送より楽だから)
あのサイトを便利だと思って使っている人はいるんだろうか…。
美大で、情報デザイン系のコースもあるんだから、むしろ他の大学より使いやすいサイトにしてくれよ…。って思うんですけどね…。
デジタルコンテンツが使いづらいから、結局有料のアナログ教材を注文するし、自分自身でカリキュラムリストを作ったりしたので。なんか。なんかさ。
全体的に親切じゃないんだよね!この大学…!!!(不満)
大学って不親切なのが普通なのでしょうか?
大学ですから、義務教育の学校みたいに手厚くサポートしてくれないのは分かるし、自分でやらないといけないのは分かるけど、もっと親切にしてくれてもいいんじゃないの?と思います…。
今の通信大学に所属していると、私立大学は経営だもんな…学校も結局商売道具だもんな…と感じさせられる。儲けのための良い鴨になっている気がしている。
「カモがネギしょってきたわ〜」
私が卒業した普通大学も私立大学ではありましたけど、親切でしたよ…?
何が違うんだろう。親切なのはキリスト教系の大学だったからなのかな。それとも小規模大学だったから?親切か不親切かは大学の理念の問題?たまたま私が運良かっただけでもしかしてそもそも大学って不親切なものなの?
それとも沢山いる通信学生だから(スクーリングとかで顔を合わせる人数は1回あたりそう多くないけど、全体の在学生としての人数はべらぼうに多い)、一人いなくなっても変わらない(経営が困らない)から不親切なの?それとも私がバカなだけなの?みんな困ってないの?でも困ってないならなんで君たちは卒業まで8年もかかってるの?
日本画が上手くなるだけ
今やっていることが未来に繋がるドアがない
お金に余裕があるわけじゃないからなるべく低費用で早めに卒業したいという思いがあるのに学校側からは「時間の余裕も金銭的な余裕もあるだろ」って言われている気がして悲しいし、自分が頭を悩ませてやっと作り上げた履修プランはうっかりの見落としで崩壊するし、いちいち大変。
こうやって、「しんどいなぁ、ほんとにしんどいなぁ」って思いをするたびに思うのは「これをやって何になるんだろう」ということ。襲いくる巨大な虚無感。
私が在籍する通信大学に就職サポートはありません。
通信制の方だとキャリア支援があるんですが、同じ大学でも通信学部だとその支援を受けることはできないそうです。卒業後の働き口を探したいなら、自力でどうにかしなくてはいけないらしい。
個人で就職活動して、絵画系の仕事に就けるとは思えない。
この大学での学びの意義はなんだろう…?未来につながらないのに。
趣味にするならいいでしょうよ。
でも趣味のために大学に通うとかまじで道楽じゃん…。
それでも日本画は好き
日本画自体はすごく好きだし、勉強してよかったと思える。
日本古来の画法を知ることができてよかった。
日本画の画法自体も好き。
一つ一つの工程に手間がかかるから現代でたくさんの人が使う画法になることはないだろうというのは分かるけど、でもその手間や時間がかかる分、荒々しく描けないから、美術展などで見ても日本画は他の絵画にはない穏やかさや静寂さを感じるし、私自身作業している時に心が落ち着いていく感覚を味わえる。
それに、独特の凹凸を持つ画面が作り出す絵の空気感は、それだけで手間をかけることを惜しまない理由になるくらい、美しい。
古来の画法なので使うものがシンプルでわかりやすいのも好き。岩を砕いたものを髄液で麻紙に定着させるだけ。そのシンプルさを補うために描画者の手間が割かれるのだけど、何が入っているかわからない描画材より私は好き。シンプルゆえに、いざとなったら自分で画材を作れるのだから。奥が深くて永遠に付き合える魅力的な画法だと思う。
絵は上手くなっているとは思うけど
大学で勉強すればするほど、絵が上手くなっているのは自分でも分かる。
写生のときの色の乗せ方も、質感の出し方も、やればやるほど深くなっている。
日本画も描けば描くほど、今までの人生で馴染みのなかった膠や岩絵具が自分に近いものになって、慣れていく感覚がある。
だから、大学で勉強を続ければ、日本画は上手くなる。それは、自信を持って言ってもいいと思う。
でも、それだけ。
日本画が上手くなるだけ。
日本画家になれるわけじゃない。上手くなると言ってもそれほどにはならない。
一般職に日本画が活かせる機会もない。
デザイン系やイラスト系と違って専門職の間口があるわけでもない。
苦手な事務仕事で疲弊して、折れた心に何度も一人で添え木して立ち直して、
それを繰り返して得られるものは、「ただ絵が上手くなっただけ」。
あとはせいぜい「通信大学卒業しました!」という効力感。
日本画は好きだけど通信大学がしんどい。
私は絵を描いていたいだけなのに…。
将来のことを考えるとデザイン系のコースにした方がいいかな、とかも思う。
日本画が好きなのに。それだけじゃ生きられない。
森に住む妖精になりたい
要はただの自分に甘い私のわがままでござる
今回ブログに書いたようなことを通信大学に入学してから、何度も何度も思って、何度も何度も心折れて、昨日の夜もまたバッサリ切り捨てられた返信メールを見ていつものように心が折れたのでした。ただの甘えたわがままです。
頑張りたいけど、不安になる。
「私このまま頑張り続けるのでいいかなぁ?大丈夫かなぁ?」って誰かに聞きたい。ひとりで思いつづけるだけじゃ不安だから。
「社会的に価値がない、役に立たない絵だけど、私は絵を描き続けていいかなぁ?」
本当は、言いたいことを言いたいのと同じで、好きに描きたいことを描きたくて、だから絵を仕事にしてしまうことで絵が「気持ちを伝える道具」から「お金を稼ぐ道具」になってしまうことを恐れているけど、
それでも「絵を描くことが仕事になればなぁ」という思いを断ち切れないのは、絵を仕事にすることで絵を描くことが許されたいからなんだよね。一番はそこ。
仕事をしているってことにすれば、堂々と絵を描いていられる。
私に「絵を描いて」って言ってくれる人がそばにいて、私を生かしてくれるなら、それだけでハッピーに生きていけるのに、そんな人はいないので(それはまだ私の絵にそれほどの価値がないからで)、人生はシビア。心細さに脳みそが支配される夜もあるのだ。
社会性など捨てて、創造のためだけに生きられたら、どれだけ楽だろうか。
あ〜〜〜〜、森に籠りたい!!!
私は上手くなるだけじゃなくて必要とされないと「居られない」気持ちになるんだな。(自己発見)
おわり