名前のない生活

何者でもない僕のなんてことない日々

吐き出し期間にする

11月までの3ヶ月間は「吐き出し期間」ということにしてあげる。

(吐き出し期間宣言)

 

少し前から「ちょっと昔のことを外に出そうかな」という気持ちになるようになってきました。“ちょっと昔”というのは中学〜大学とか、主に学生の頃の話です。

これまでは暗い話になってしまうからと思っていたけども、最近は「暗かろうが何だろうが、事実だし、そういうものを隠そうとするから、うまくいかないことがあったり、“僕は上手に出来ない”って今でも一人で泣いているような人がこの世界の片隅にいるんだ!!」って思ったりもするようになりました。

 

私の自分語りが誰かの救いになることもあるかもしれないし、それ以前に誰にも届かないかもしれないし、何にもならないかもしれない。救いになればいいけれど、害になることもあるかもしれない。

だけど、「誰かの害になるかも」なんて、所詮他人にとって有益かどうかという問題なので、それを私が忖度してあげる筋合いはないです(ひどい)。

私は私のために生きることにしたので、吐き出すことは私にとって大事なことなので、そして「話そうかな」って思うようになったということはきっと今がその時なので、、、出すぞ!!!

 

とはいえ出し方も重要かなと。主に「害になる」という人になるべく見せないように、かつ、届いて欲しい人に届ける方法を探ろう…という気持ちはある、気持ちは。

 

一番いい方法は漫画だと思います。私にとって漫画は唯一の言語、唯一のコミュニケーションツールとも言えます。

今こうして日本語で文章を書いているので、文章も「コミュニケーションツール」として使えてはいるのですけども、ちょっと定かではない。伝わり塩梅が怪しい。私は私の文章をコミュニケーションツールとしては信用していないので(笑)

 

でも、漫画とか絵は“昇華”の作業です。昇華できればそれは素晴らしいことですけど………、ではここで一つ、文字遊びを。

 

消化できなければ昇華できないのだ!!!

 

…はい。

まずは自分で咀嚼する段階が必要だと思いました。自分のための咀嚼段階で必要な方法が「吐き出す(=喋る)」です(※私の場合)。まずはどんどん吐き出して、全部吐き出したら…そしたら新しい景色が見れるようになってるんじゃないかな、という気がしています。吐き出して、咀嚼して、整理できたら「消化」して、「昇華」の段階に入れるんだと思います。たぶん。

 

これもまた文字遊びの一つなのですけど、

「話す」「離す」「放す」

 

それぞれの人が抱えているものって、その人にとって本当に解決したいものの場合は話せないことが多いと思います。

なぜかわからないけど「話せない」ことってありませんか?

 

話せないということは、自分と切り離せない、放すことができないことだと思っています。イメージとしては、自分が抱えている問題が「自分」と癒着している感じでしょうか。

フロイトだか誰だか忘れましたが、親子関係の虐待で「同化」という言葉が使われることがありますが、それに近い場所に存在する概念だと思います。興味あれば調べていただけばいいかと思いますけどネットの記事はあてにならないので、フロイトの理論とかは本で勉強したほうがいいかもしれない、し、知らなくてもいいです(笑)

 

自分の外にある問題が自分の中に取り込まれて癒着する…「自我と一体になってしまう」という感じですかね…。伝わるかな…?

 

私はずっと…主に親子関係というか、家の問題というか…に“同化”の現象が起きていまして、同化が起きているということに気づいたのも大学で心理学を勉強してからでしたが…。同化が起きていると分かってから意識的に切り離す努力を始めました。いろいろと、いろいろと…。で、今に至る、と。

 

少し話が切り替わりますが、12月からは実家を出ることになると思います。叔母の家に居候させてもらう予定です。それ自体はいいことなんですが、環境が変わることで今までなかった新しい問題が発生することもありまして…。

 

最近壁打ちラジオを始めたのですが(↓こんなかんじの)

youtu.be

 

12月以降のラジオの更新ができるかどうかがわかりません。

でもラジオ、とてもやりやすい。べらべらべら〜って喋るだけでいいから楽(笑)

 

12月以降のアウトプット方法はこれまでのように何でもできるという状態ではなくなりそうなので、吐き出すならば11月中までに思う存分やったほうがいいんじゃないか??という気がしてきたのです…。

 

誰かに伝わるようにするには、何かの形にしなくてはいけない。私はいつもそれを「甘いカフェオレを作る」と思っています。コーヒー豆はそのままでは食べられないので、コーヒーを落として、砂糖とミルクをたっぷり入れて…飲みやすくして提供する、というイメージです。

 

これまではある程度上手にカフェオレを作ろうとしてきました。うまくできていないのですが。でもうまくできないのはまだ私がコーヒー豆と向き合っていなかったからかもしれません。美味しいコーヒーは豆を選ぶところから。これからの9〜11月の3ヶ月間は言い換えれば、私がコーヒー豆と向き合う期間です。

それは、周りの人からしたら迷惑な行為かもしれませんし、私が今まで一生懸命ごまかしていたカフェオレをぶちまけるような行為かもしれないですが、今の私に必要なことはコーヒー豆を選び抜く作業だと思いました。

 

もし、しっかりコーヒー豆と向き合えたら…そして、コーヒーの淹れ方を習得できたら…砂糖やミルクなんて必要ない、ブラックでおいしいコーヒーが提供できるようになるかもしれない…!そんな期待を持っているのです。

 

ふわっとした比喩表現で書きましたが、具体的に何をする予定かというと、ブログとラジオです。

ブログとラジオで壁打ちをしまくります。そしてそれを「見てくれ〜!読んでくれ〜!」と叫びます。

 

ブログとラジオを媒体として選んだのは、長文に対応しているのでべらべらと吐き出す(=喋るように吐き出す)にはちょうどいいことと、受け取る気がある人だけが受け取りに来る場だからです。SNSは欲しいと思っている人もそうじゃない人もみんなに見えちゃうので、そうすると不要な人にとっては私が吐き出したものが「害」になっちゃうからね。

 

ということで、11月までの3ヶ月間は遠慮せず、どんどん吐き出す…いや、吐き捨てる!!捨てるぞ!!心の断捨離だ!

吐き出し期間は吐き出す方に手間や時間を割くことになるので、一時的に創作(昇華)に割ける時間は少なくなってしまうと思いますが、吐き出し終わったらもっと素晴らしい昇華作業ができるんじゃないかな、と思っています。…うん。「今はその時」という感じがする。なんとなく。

 

どんどんだして、吐き捨てて、残った大切なものを整頓して、磨いて、いつかおいしいコーヒーを世間に出せるような私になりたいです。えいえいえおー!

 

おわり!