名前のない生活

何者でもない僕のなんてことない日々

欲しいものを欲しいと言うだけ

だべり!!

 

欲しいものを欲しいと言いたいだけなのに、何か難しいことみたい。

 

こうしたい、ああしたい。

やりたいことをやりたいって言って、欲しいものを欲しいって言いたい。

それが現実的に可能かどうかは問題ではないのだ。

言いたいだけなんだ…。

 

言うだけならいいじゃない。と思うのだけど、

どうもそんな感じがしない。

なんで無理だよとか言ってくんの、そんな話をしてなぁぁあい!!

 

頭いいフリして私の感情を殺すな!

 

しかしまぁ、その人はその人で一生懸命なんだろうからしょうがない。

お互い様だから許してあげるよ(謎の上から目線)。

誰かと話すときに相手の感情を大切にできることは少ない。きっと。みんな自分が一番なんだもの。私だってそう。

 

筋トレしなくても筋肉ついていて欲しいし、

おもしろい映画を見たいし、

楽しい漫画を読みたいし、

ゆっくりカフェオレ飲みたいし、

おいしいご飯を食べたいし、

私の国(家)の整備(掃除)を楽しみたい。

 

こうしたい、ああしたい、って考えている間は楽しい気持ちになれる。

実際に実行しなくても、想像するだけで気持ちは先取り。

それでいいんだ。

先取りでも取らぬ狸の皮算用だとしても、今、ハッピーならそれでいいんじゃ。

 

それじゃだめなのかな…。

…いや、だめじゃない!!

誰かの価値観でそれが「だめ」なことだとしても、私はいいと思うよ、to私。

 

他人のノイズでブレるな私。

自分のことだけを見ていればいいよ。

誰かの主張が私にとってノイズになるように、私の主張はその人にとってノイズになっているのかもしれない。大切なのは住み分けだ。

 

ところで、

手相もアテにしながら妄想すると、「結婚して脱出」というのが一つのカード。(ただしあくまで妄想)。

 

でも3億あれば結婚しなくていいんだよね。

最高な人と出会って結婚するという起きそうもない奇跡、3億手にする奇跡、どちらが確率的にありえるのか?

どちらもありえそうもないけど、「でもいつか、結婚すれば」と思うのは、結婚の方が3億円が宝くじだ当たるよりも「起こりうる」可能性が高い、と私が思っているからなのかな。

結婚という奇跡を舐めているのでは…?

 

んんん…、たとえば、「3億円」と「最高な結婚」を両手に持った神様が泉から出てきて「どっちがほしい?」って言ったらどっちを選ぶだろうか…。

最高な結婚、だな。だって最高なんだもん。

3億は3億でしかないけど、最高な結婚はいろんな最高を含んでいるからそっちの方がいいな。ということで、確率的にどうかというよりは、私の望みが結婚なんだろうな。3億あってもいつか、一緒に生きていきたいと思える人と出会って共に生きていきたいもの…。(乙女か?)

 

色々たいへんだとは思うけど、一歩ずつ頑張るしかない。

何にもならなそうなことを、少しずつ積み重ねていく。

その積み重ねが、本当に全く役に立たないなんてことはないんだから。劇的に役に立たなくても、役に立ってる。

今までやったこと、起きたことの全てが今の私に詰まっていて、今の私に「できる」こと全ては今までの私が積み重ねてくれたものなんだから。良くも悪くも…。

 

誰かと比べてはいけない。私は私だから。他の人にはなれないんだから。

それに、「Aさんみたいになりたい」って思って頑張ったところで、絶対にAさんの二番煎じな生物にしかなれないんだ。Aさんは永遠にオンリーワンだし、Aさん部門で永遠にナンバーワン。その立ち位置を取って代わることも、脅かすことも、他の誰にもできない。

理想を抱くことは大切だけど、自分を活かすことはもっともっと大切だ、きっと。

 

みんなそれぞれ別々に素晴らしいということ、画一を求められるこんな社会では忘れてしまいそうになるね。目指すべき人間像が与えられて、それが目指すべき自分像に置き換わっている。そしてその条件を満たすことができていない自分を認めてあげることができない。なんて哀れで虚しい社会なんだ…。

 

そう考えると、へこたれるのも無理ないな。しょうがないよ。

どんなにめげたって、悲しくなったって、そうゆう日があってもしかたないから、それはいいんだよ。え〜んって布団の中にこもってればいいよ、そんな日は。

でもちょっとずつ、自分の感覚を信じてあげられる瞬間が多くなっていけばきっと大丈夫だ。

 

目の前のことから一個ずつ。まずはシャワーを浴びて気持ちをリセットしよう!

そこからだ。

 

おわり!