男でも女でもない、ってどうやって主張すればいいんだろう。
そもそも、主張などする必要はない、ということは分かっている。
自分が自分のことを知っていればいいじゃない、自分が自分を「そう」だと分かっていればいいじゃない、……と言われれば、確かにその通りなのだが……、どこかもやもやしてしまう。
周囲に自分を誤って認識されている感覚、に、もやもや。
このもやもやはアレと似ている。
例えば、仮にハローキティのエコバックをもらったとする。プレゼントでもいいし、景品でもいい。で、仮に僕がキティを好きじゃないとして……嫌いでもないけど、好きというほど好きということでもない、という場合。そのキティちゃんのエコバックを使っている最中、心のどこか片隅で「違うんです」と否定の声がこだまする。
「違うんです、別にキティちゃんが好きというわけでもないんです。好きでも嫌いでもないというか、そもそもそんなに興味がなく、サンリオ自体もさほど興味がないし、もしサンリオから選ぶとしてもポチャッコかキキララを選ぶんですけど、サイズ感と素材がちょうどよくて、もらいものということもあってありがたく使ってるんです。便利というだけの理由で使ってるだけなんです。キティちゃんが好きだから使っているわけじゃないんです!」
……という言い訳を、誰にともなくしたくなる。
誰も「キティちゃん好きなんだね」とか言ってないのに。もちろんそう言われたら「違うんです」と言うけれど、誰も何も言わなくても、言い訳をしたくなっちゃって、その誰にともない言い訳はこだまするたび淀み不快なもやもやになって僕の中に蓄積していく。
「自分とは異なる自分を主張しているかもしれない」もやもや、「僕とは異なるものを僕だと認識されているかもしれない」もやもや。
こうゆうことにもやもやを感じない人もいるだろうからその人には何がそんなにもやもやもするのか分からないだろうけど、僕はどうしても不快に感じちゃうんだよね。
僕は「僕を僕のまま外に出し認識されたい」という欲求が強いのかもしれない。
僕にとって、自分が自分として認識されていることが重要なことで、だから、自分自身の趣味嗜好価値観を主張してそれ自体を否定されるのは良いのけど、勝手な思い込みとか偏見でディスられるとめちゃくちゃに腹が立ったりする。
「何も知らないくせに!!!」と突き飛ばしたくなる。ディスるならちゃんと僕を知った上でディスってほしい、みたいな。
と、そんな性格をしているもんだから性別に関してもずぅ~~~~ともやもやしている。
男にも女にもなりたくないんです、男でも女でもないんです、という主張をしたいのです。
男とも女とも思われたくない。「男でも女でもないんだね」って思われたい。
もちろん、他者が僕をどう認識するかなんて相手の自由なんだから、「こう思われたい、こう思って欲しい」なんて要求をするのは傲慢だと分かっているけど、だから、せめて、「そう思われる」ための努力をしたいと思っている。
でも「男でも女でもない」と思ってもらうにはどうしたらいいんだろう。どんな主張をしたら、表現をしたら、「無性」だと認識してもらえるんだろうか。
一応、性自認としては「Xジェンダー」という言葉を借りることが多い。いわばXジェンダーは「その他」という意味でしかない(と僕は認識している)。僕はXジェンダーと名乗ることが多いけど、厳密に言えば「無性」=「性別がない」と感じているので、「中性」になりたいわけではない。のでややこしい。
僕は、男でもなく、女でもなく、中性でもなく、男でもあり、女でもあり、中性でもある……つまり、性別という概念に入れられたくないのです。
男でも女でも中性でもない、「性別が無い」という主張はどうすりゃできるの?
男性らしくする、女性らしくする、ほど象徴的じゃないとしても「中性らしくする」というのはやりようがある気がする。生まれ持った肉体を変えるには限界があるから、それ以外の部分……ファッションや立ち振る舞いなどで主張をすることができると思う。
ニアピンってことで「中性」を主張すればいいのだろうか?でも「中性」でいいならいっそ「男」でも「女」でも、僕にとっては同じことだ。
「無い」ことを証明するのはどうしたらいいのだろうか。シンボルが「無い」ので自分をどう表現したらいいのか分からない。ずっとその答えを探している。
そのひとつの答えとして、今ブログを書いています。記号がないなら言葉を使うしかない。
残念ながら僕が長らく抱えているもやもやは「わかりやすいもの」では説明できないようで(だからこそこんなに長年頭を悩ませているのだけども)、こうやって言葉を重ねていくしかないのかもしれない。
誰にともない主張。でも心中で反芻しているより言葉として表出した方が、まだ何かに繋がっていくかもしれない。「僕はこうゆうものです」という主張を、「誰か」にすること。
鏡を見るたび、着替えをするたび、性別の選択肢に戸惑うたび、服や靴を買おうとするたび、話す時、座る時、歩く時、他者と接する限り、心の中で繰り返し溜め込んだ「違うんです」を、少しだけ外に出してみる。
誰が聞いてなくてもいい。誰か聞いてくれるかもしれない、そんな希望を胸に、自分のために誰にも脅かされない領域でだけ、少しずつ言葉を吐いていく。少しずつ、少しずつ、自分が自分になれたらいいな、と思う。
<おわり>