名前のない生活

何者でもない僕のなんてことない日々

夢見る夢子は不思議ちゃん

こんにちは、どうも、ごきげんいかがですか。

私は「今年の梅雨はやけに梅雨梅雨しているな、梅雨っていつもこんなに梅雨だっけ?」というような日々を過ごしています。100パーセント湿度。

雑談!

 

さて、夢見る夢子。

 

「夢見る夢子なのかな?」って言われたことありますか?私はあります。

「ちょっと不思議ちゃんだよね」って言われたことありますか?私はあります。

「天然」って言われたことは…かなり…、人類が今まで経験した雨天決行の遠足の回数と同じくらい多いかもしれない。(知らんよ。それはいかほどか…)

 

うーん🙄

 

そりゃさすがに「自分は現実的だ」と言い張るつもりはないけれど、そこまでふわふわした言われようをするほどふわふわした生き物ではないと思うのだけどなぁ…。

 

私は私の感覚に基づいて論理的に思考しているつもりなので、夢見る夢子だとか不思議ちゃんと言われた時は驚きました。嫌悪とかそういうんじゃなくて、純粋な、驚愕。

 

天然天然と言われるけれど「天然ではない」と言うと「天然の人は天然じゃないって言うんだよ」と言われますが、そうでしょうか。そんなじゃれた風に返されても、私は真面目に否定しているんですけど。

 

綾瀬はるかという女優さんが居ますが、ドラマか映画の記者会見的な何かの折、共演した玉木宏のニックネームを考案する際「たまちん」にしようとして止められたというエピソードを話していました。「いや、さすがにそれは…(笑)」という雰囲気の話しでしたが、綾瀬はるか本人は「そんなにおかしいかな」というようなふわっとしたニュアンスでそこにいたし、それをテレビで見ている私も「そんなにおかしいかな」と思っていましたが、居合わせた母には「たまちんはさすがに…笑。あんたはやっぱり、天然だから」というようなことを言われました。そうなのかな。

 

また、別の話ですが。友人と一緒に描いている漫画のタイトルが『青春しないか』でしたので、呼称を「セイシ」にしようと持ちかけたら「え!それはさすがに…」と言われました。そうかな?私は友人の反応が返ってくるまで全く何の懸念もなくセイシと呼ぶつもりでいたので、友人のリアクションにこちらこそ「え!」って感じ。びっくりしました。同音異義語なんていくらでもあるし、発音が違うし、そこに含まれている意味も違うからあまり気にならなかったんですけど、気になるものなのだろうか…。発音は「静止」のイメージでしたので、「生死」ではありませんから、もちろん「精子」でもないのですが…。

 

それで、何の話かっていうと、私にとっては不思議じゃないということです。

私にとっては不思議じゃないことでも「不思議」って言われることがあるだけで。

私が不思議ちゃんかどうかという是非を問いたいのではなくて、思考パターンが違うだけなんじゃないかっていうことを言いたい。

不思議ちゃんという別の生き物ではなくて、思考パターンが違うとか、重視する項目が違うとか、入力された情報からどの情報を優先的に抜き出すかという部分が違うだけで、ただの少数派なだけだと思うんですよ。どうかな?

 

綾瀬はるかの例は、そういえばこんなことがあったなぁと思い出しただけで、「たまちん」とか「せいし」という呼称について「いやそれは(笑)」とならない人も多いと思うので、私が言いたいことの例としては適切だったかどうかわからないのですが、どうでしょうか…。

 

とにかく、天然ではないのです。人工なのです。考えて言っているんです。気さくな発言、もしくはジョークです。「たまちん」と「せいし」の例を読んでもらったらわかると思います。面白くないです、不思議じゃないです、当然のことです。「えぇ…」って言って笑うようなことでもないと思うのです。「ふむ」という話です。そう感じませんか?

やはり女優綾瀬はるかの口から「タマチン」という言葉が出るのは笑う項目なのでしょうか…。これはいかに…。

 

それはさておき、

夢見る夢子だとか不思議ちゃんだとか、それぞれ1回くらいしか言われてないと思いますが、言われてみないと気づかないもんですよね。自分と他者の認識が違うっていう事実に。

 

たとえばアーティストに対して「個性的」っていう表現がありますが、それって作り出している個性だったりしますよね。でも「個性」っていうのはもっとどうしようもないような部分にそれぞれが持っているものだと思うんです。その人がその人である限り、滲んでしまうものが個性、と。

 

私が天然と言われている時の天然っていうのは「個性的」という言葉のような、つまり意図的に作り出した「天然」ではない…とははっきりは言えません。半分くらいは冗談のつもりで思ったことを言っただけですが、残りの半分は笑わせるつもりは全くなかったのに笑っているというようなことです。

つまり、作り出したものであるときも、そうじゃないときもあるし、作り出したものだとしても私の思考回路に基づくものであるから、天然とも人工とも言えない、どちらでもなければ、どちらでもある…というような…???

 

でも夢見る夢子や不思議ちゃんに関しては、まったく意図がなかったから…たぶん、気を許していたんだと思います。夢子とか不思議ちゃんと私に言った人に対して、私が警戒を解いていたからそう言われたんだろうなと。

 

自分の思考回路がほんの少し人とずれているようだということは、長い幼少期のなかでなんとなく学習しているもので、

(私もこうして改めてトピックを取り上げたりしない限り気づかずにいたのですが)

私は自分の感じていることを外に出すことに強い警戒心があるようです。

 

もちろん、私にそのような癖ができた原因は、大なり小なりの思考回路のずれだけじゃなく、色々な要因があります。…いえ、「だけではなく」というよりむしろ、「自分の思いは飲み込んだ方が安全だ」という場面に長く晒されていたのが大きな要因になっているとは思いますが。

 

何はともあれ自分のふとした思考回路や感じたことを、気軽に外に出すことはありません。「この人は安全だ」と私が(意図の範疇外で)判断した相手には思ったことを言うんだと思います。限られた家族とか、極少数の人々。

 

だから普段は装って正解の回答をしているので、大いに真面目。真面目なんです私は。あるとき、おじいちゃんに「根が真面目だから」と言われましたが、私は根も葉も真面目ですよ、おじいちゃん。

 

ただそうやってふと外に出した時に指摘されることで自分を知ることになりますね、というお話。

「白昼夢を見るか…Yes/No」という問いに直面して初めて、“想像の世界に自分の意識が全て飛んでいってしまうこと”が無い人が居る、ということを知るのです。(私は“夢見る夢子”ですから、ほとんど白昼夢の中で生きています。)

 

まぁ、それで、何という話でもないです。

自分と人は違うんだと、自他の違いに気づいた時には純粋に驚くのと同時に、初めて自分を知ることになりますね…ということと、それから、私は大真面目だぞっていう話です。雑談です。

 

雑談でした。

おわり